写真日記

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2009-3/24 火
雇用調整による休み。
墓参り。




いよいよ雇用調整に入りました。
長期休暇です・・・。

午前中は墓参り。
先日の紅白の椿が全開になりました。
墓に立ててから写真を思い出しました。^^。墓前から失礼します。
花の大きさは朝顔を少し大きくした位の感じです。けっこう大きいんですよ。

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こんな感じでいけました。「立花」です(笑)。
スイセンがあっち向いてますが、どうも人見知りをするらしく・・・。

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これは我が家の庭にて撮影。これも椿なんですよ。
撮影した後になって花びらの穴あきに気付きました。ほんの愛嬌です。^^。
花の大きさはこれも先日の赤いのと負けず劣らずの大きさです。

お客さんが来られたら、よく「バラ」と間違われます。
葉っぱを見て「えーっ、これ椿ですかぁ」って、時々言われます。




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2009-3/21 土
花の過去




椿が次々に咲いています。




かなり大きいでしょう。
花ビラがよく詰まっているせいか、重さもズッシリとあります。

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こちらはピンクの椿。
花がすぐに変色するんで、個人的にはあまり・・・。

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これはまだ開花途中です。
完全に開花したらまだ大きな花になります。
赤と白のバランスがとても綺麗です。また後日載せてみます。

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これらの椿は皆、亡き親父が育てたものです。
元気だった頃はビニールハウスでいろんな花を作っていました。
私はほとんど手伝いませんでしたけれど、
他所に無い変わった品種をたくさん作っていました。




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2009-3/20 金
遺跡



本日は周防大島です。
大島大橋を渡る時に見える大玉根神社はよく知られています。
大玉根神社に参詣したら、そのまま海浜まで下りてみましょう。
昔は今のような道路は無く、海から参詣していました。
その名残りが今も波打ち際に遺跡となって残っています。







鳥居の所から昔の石段(参道)が急上昇しています。
今はもう崩れる危険性があるので登れませんが、もの凄い急角度です。
昔の人は、まさに石段にしがみ付きながら登っていたんだろうなぁと思います。

今はもう放置してあるような遺跡ですが、昔の絵図などを研究する時、
こうした遺跡が残っているとすごく参考になります。



(以上の鳥居の写真・3枚は2007年夏、オリンパスカメラで撮影した写真です。)


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椿が全開になりました。




椿の花は綺麗なままで落ちていくから幸せな花です。

比較するとしたら、彼岸花を出します。
彼岸花は綺麗な時期を過ぎても、枯れ色のまま、いつまでも立っています。
人が刈り取ってやるまでいつまでも枯れ色のまま立っているんです。

う〜ん・・・どっちがいいかなぁと、つい、人に尋ねてみたくなります。
答えは出ませんけれど・・・。



・・・好きなひとの髪に挿してあげたい。^^。





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2009-3/19 木
振り替え休日



撮影を兼ねて般若寺に参詣しました。
茅葺屋根にはシートがかけてあります。


屋根瓦一枚千円から。
瓦の裏側に住所氏名を書いて、
お願いごとを書いて奉納です。
自分のメッセージが千年先まで届きます


ところで、この建物(山門)と向こうの妙見堂は
茅葺屋根のまま残してほしいものですね。

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般若寺駐車場から眺める大畠瀬戸。
ここが「からと水道」東側進入口になります。
「からと水道跡」は左方向に入っていきます。
私が20代初め頃にはまだここは海だったんです。

煙突は火力発電所。発電所だらけになってますが・・・

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般若寺からの帰り道に撮影しました。
たまには愛車の写真を・・・。^^。
室津半島スカイラインにて。
この道は狭くてブラインドコーナーが多いので、
ドライブやツーリングには、ふもとの海岸線を走るほうが快適です。

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ようやく椿が咲き始めました。
ちょっと変わった品種の椿です。
バラみたいな花を開きます。
完全に開花したら、また載せてみます。






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2009-3/18 水
昨日の続きです。




ピラミッドテキストに登場する「ソカル」という人物を解明するには、
この本「般若姫物語」を読破する必要があります。
総ページ数 205ページ

平成2年3月発行
編集 平生町郷土史調査研究会
発行 平生町教育委員会

在庫が残っていれば、平生町郷土資料館で購入可能です。

代々門外不出のこの本が世に出るには平生町・般若寺住職のご好意があったことを付しておきます。
さらに原本の解読に「平生町郷土史研究会」の方々の努力により、我々が閲覧できるようになりました。



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平生町・般若寺の原本は「満野長者旧記」という本だそうです。
こんな文字で書いてあります。

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般若姫入水の場面。

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般若姫薨去の場面。



満野長者旧記のあとがきより。

『此書の起りを尋るに、防洲都濃郡切山の里に桑嶋教順といへる山伏医あり、妙薬を九州へ弘め(中略)
彼桑嶋教順毎年豊後に渡りしが、或時八旬余りの老僧に出合て、いにしへ此処に満野長者の住居しけるとかや
承り及びたり。旧記など御存なきやと問、老僧の曰、(中略)我数年が間認置し一冊に長者行状委しく記置たり、
夜と共に物語し、一冊をゆづり参らせんと云、(中略)則是をゆづるべしとて、長者炭焼の生立より守屋大臣と合戦、
般若姫存亡の次第委敷書記たりし一冊を授けり。是を持帰りて一子玄道に与ふ。玄道此一冊を以て此書をつづり
置し也と石村氏物語る。実にさも有べし。然るに玄道三通り書写し、一冊は長洲萩の草刈家へ献じ、一冊は伊保庄
般若寺へ奉納し、一冊は自宅に処持、真字をひらかなに直し書写と云々。』



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2009-3-17 火
先日の歴史の続きです。
写真は先日と同じものです。



波野スフィンクス頂上の行者堂から前面方向を見たもの。


行者堂・拝礼方位・5度
拝礼する方向 ⇒ 佐田上 ⇒ 鹿之石上 ⇒ 中山 ⇒ 上久原(朝日) ⇒ 美和町長野上

堂宇前面方向 ⇒ 長合(ちょうごう) ⇒ 砂田 ⇒ 尾津中 ⇒ 上関四代の現後鼻 ⇒ 鼻繰島

堂宇に向かって右方向 ⇒ からと水道 ⇒ 土穂石八幡宮の南側 ⇒ 柳井津 ⇒ 水口茶臼山古墳
 ⇒ 海原神社 ⇒ 石神 ⇒ 周防大島山下浜・椋野神社 ⇒ 大崎鼻 ⇒ 浮島
 ⇒ 逗子ヶ浜(筏八幡宮の北側約500メートル) ⇒ 伊保田 ⇒ 日向泊

堂宇に向かって左方向 ⇒ 旧大和町八幡 ⇒ 溝呂井 ⇒ 光市島田・熊野神社の北側約700メートル
 ⇒ 上ヶ原 ⇒ 笠戸島瀬戸岬 ⇒ 周南市大島・漁人鼻


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上の写真で「からと水道」は
向こう側から左方向へと直角にカーブしていました。


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翔泳社発行・「創世の守護神」より

(ピラミッドテキスト「壁画の絵文字を解読した文章です。」より)

「うねる水の道」は洪水を起こし、ラーシュの原は水で溢れた。
私は船で天空の東側に運ばれた。その場所で、神々が流儀を授けた・・・・(オリオンの)妹はシリウス・・・・・
水路を通ってきた。それは大氾濫の洪水の河岸であり、安心立命の場だ・・・・・それは水平線にある・・・・・
どうか「うねる水の道」へ持ち上げ、昇らせてください。不滅の星たち、神々の間に置いてください・・・・・

『不動のまま、おお、オシリス王=オリオンよ、空の下側で美しい星=シリウスとともに
「うねる水の道」の曲がり角に、いてください・・・・・・・
「水の道」に行きなさい・・・・・オリオンがあるドゥアトへの階段が用意されますように・・・・・
おお王よ、あなたはこの偉大な星でオリオンの仲間、オリオンとともに天空を旅する。
オシリスとともにドゥアトの中を進む・・・・・』

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以下、「創世の守護神」原文のまま抜粋させてもらいます。

『古代エジプト人は、オシリス、ホルスそれにラー(中略)の神々を、「祝福に満ちた「最初の時」の時代」が
最高の形で具現化したものだと考えていた。特にオシリスは、この聖なる王国で最初の王と考えられている。
妻イシスとともに王国を統治し、素晴らしき黄金時代を築いた(この期間に農業や家畜が人類に教えられ、
法と宗教的戒律が与えられた。)だがその繁栄は、暴力によって突如として踏みにじられた。(以下・略)


『では、「ソカルの地」とはどこにあるのか。どんな場所で、誰が所有していたのか?
(中略)一方、I・E・S・エドワーズは、「ソカルとは、メンフィスのネクロポリスの神」であり、
王朝時代前の死の神のことで、「ピラミッド時代には、オシリスとソカルが同一視されるようになった」と
述べている。(中略)どうやら、オシリス、ソカル、「ソカルの地」(中略)「ロスタウ」などには、ある連鎖
する概念があるようだ。「ロスタウ」はギザのピラミッド群の呼称で、第1部で取り上げたスフィンクスの
前脚の間にある花崗岩の石碑にも刻まれている。その石碑には、ギザが「最初の時の荘厳な場所」で、
スフィンクスは「ソカルの家」の脇にたたずんでいるともある。


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引用させてもらった翔泳社様に感謝します。



(以下、私の記です。)
オリオンもオシリスもシリウスもイシスもわかります。
ただ一つ、「ソカル」がまだわからないと思います。
「ソカル」とは日本語であり、「草刈」のことです。
「海風想」の方でこれから載せようと思っている「般若姫物語」は
「草刈山路」の物語とも言われています。(クリック)


































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