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『 たまには古代史 』 は、このページの下に書き重ねていっています。
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2026-2/3 火曜日 夜 

本日は節分。

私が幼児だった頃、豆まきは祖母と一緒にやった記憶がある。

祖母に言われるまま、

あそこに鬼がおりゃーせんか、そこにおりゃーせんか、と。

言われた所に豆をまいた。


今の世間、世界を見渡すと、鬼がたくさんいる。

豆まきの必要な国がたくさんある。

ドローンに豆をたくさん積んで、

その国の上空で豆まきをすると、

鬼は出て行くだろうか。




では、おやすみ〜。

良い夢を。






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2026-2/2 月曜日 夕

私の著書

私が中年の頃に書いた 『 からと水道 』 という本を

譲ってほしいと言う人がまれにありますが、

今となっては訂正を必要とするところが多いので、

誤った内容が広がるといけないので、

申し訳ありませんが、お断わりしています。


そのほか古い手書きの原稿なども段ボール箱に

いくつもありますが、それらも全部捨てる覚悟です。


インターネットで始めた 『 海風想 』 も、

何十年も経過した今、訂正の必要な記事が多くあります。

古代史の記事は発見があるたびに捨てることの繰り返しです。


ただ、計測値は不変です。それだけが私の宝物です。



山口県光市三輪 ( 旧称・美和 ) にある三輪神社の方位線。三輪神社の別名を稲穂塚と言います。

美和の大物主神がインドまたはエジプト方面から渡来して来られた時に足あとを残されたのでしょうね。

だから、岩に彫った大きな仏像遺跡が多いです。


余談として、九州に多い洞穴遺跡は、得体が知れないからか話題に挙がることはありません。

あの洞穴群は、簡単に言うなら、御神体なんです。石器時代&縄文時代の御神体です。

日本にまだ仏教が渡来する前のこと、人々の信仰は先祖でした。石器時代の頃の先祖。

先祖である神々は洞穴から出て来られた、という洞穴信仰の遺跡です。

洞穴そのものが御神体なんです。 だから、もの凄い古い遺跡ですよ。



では、良い夕餉を。






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2026-2/1 日曜日 午後

指が切れて痛い時

冬の時期、水仕事をする人は手指のひび切れに悩まされます。

ちょっと触れただけでも、すっごい痛いですよね。

そんな時は、ハンドクリーム ( 私はオロナイン軟膏 ) を塗って、

ニトリル・ゴム手袋を着けて、1昼夜、外さないで行動してください。

よほどひどくない限り、1昼夜で完治します。


重要なことは、ニトリル・ゴム手袋を着用すること。

なぜかと言うと、手へのフィット性が良いので細かい作業が出来る。

さらに、ニトリル・ゴム手袋は、ゴムの匂いがしないので、料理の時も大丈夫です。


私は、痛くなったら、夜に寝る時、痛いところへオロナイン軟膏を塗って

ニトリル・ゴム手袋を着けたまま寝ます。

朝起きたら、たいていは痛くなくて、ほとんど治っています。

ニトリル・ゴム手袋は少し高価だけど、痛いよりはいいね。



おためしあれ〜。

では、良い休日を。







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たまには古代史

2026-2/1

前回、綿花と養蚕を意味する社寺の社殿は白い色で主張していました。

そのほかの例として、神社名で白い色を主張しているのもあります。

佐賀県の吉野ケ里遺跡の近くにある帯隈山神籠石の近くには白髭神社というのがありまして、

社殿は木の板の色のままですが、神社名で白い色を主張しています。


帯隈山神籠石・・所在地・・・佐賀県佐賀市久保泉町




↑ 私が栽培した綿花です。




↑ 綿の木は成長するまでが大変です。芽吹いた頃は、この小ささです。

成長して綿が採れるまで半年以上かかります。幹が細いので風には極めて弱いです。

さらに、防虫対策を良くしないと、チョウ ( ガ ) が卵を産み付け、

葉を食い荒らす幼虫が発生すると、綿の収穫量に大きく影響します。。




↑ これは防風対策ですが、円筒ハニワの起源は綿の木の防風として使われていました。

やがて年歴を経るにつれ、古墳の周囲を飾るだけの装飾ハニワへと変化します。






綿の木の高さは、1 メートル程度が一番いいです。

私が育てた内で一番高くなったのは 2メートルでした。

これを見て、エジプトのピラミッドの石を想います ( 先で書きます )。


以上で神籠石遺跡の起源は綿花栽培農園として存在していたことがわかると思います。

こんどは、破壊された過程と、破壊された証拠を見ていきます。




↑ 発掘途中の御所ケ谷神籠石遺跡の現場です。約 30年前に撮影。

写真は発掘によって崩れたのではありません。

太古の時代に崩された後、土を被せて埋められています。


写真の現場は小丘陵の最上部の地形です。丘の最上部なので、

意図的に土を被せない限り、遺構が自然に埋まることは考えられません。


御所ヶ谷神籠石・・所在地・・福岡県行橋市稗田




つづきにします。





2026-2/2


吉野ケ里遺跡の近くにある帯隈山神籠石は、私は白髭神社側から登って、

ため池のほとりに、ほんの少しの列石を確認しただけで済ませました。

大雨は降っていたし、当時は未発掘の所がほとんどでした。

吉野ケ里遺跡が栄えた訳は帯隈山神籠石の綿花栽培が基になっています。




↑ 福岡県山門郡瀬高町にある女山神籠石の列石にて撮影。


神籠石遺跡が築造された年代的な部分は、吉野ケ里遺跡が指標になると思います。

すくなくとも吉野ヶ里が栄えていた時、帯隈山神籠石はすでに存在していたはずですから、

弥生時代ということになりましょう。



神籠石の説に関しては、山城派が全部を占めていて、朝鮮式山城とか言っています。

私の語っている綿花栽培農園という説は、偽情報として扱われることになるのでしょうね。

そもそも、山城派は、日本書紀にたった一行しか書いてない記事を大きく拡大して、

なんたらの戦いに備えた山城の跡であるなどと、それは一行の記事を拡大派生した小説です。




神籠石遺跡には必ず泉があって、水汲み場があります。

綿花栽培には多量の水を必要とします。

↑ 写真は福岡県行橋市稗田にある御所ケ谷神籠石遺跡の水汲み場です。

侵攻による破壊が著しい遺跡です。




つづきにします。





2026-2/3

神籠石遺跡の話が続きますが、古代史を語るには、

なにがなんでも、この遺跡を知っておく必要があります。


敵国の侵攻を古事記は通称・神武東征の段に記してあります。

その侵攻経路は、山口県・北九州・岡山県・香川県・愛媛県・となり、西日本一帯です。

それは神籠石圏であり、神籠石遺跡は西日本にしか見られません。

なぜ西日本だけなのかは、綿花栽培に適した気候風土だからです。

綿花栽培は外気温が15度以上を必要とし、温暖な地域に適しています。


しかし、なぜみんな山の上なのかと考えますに、ふもとで栽培すると、

誰もが皆、栽培を始めますから、それでは儲からないです。

関係者以外は極秘で栽培するために山の上にして、

あの山は鬼が住んでいる、と、噂を流布しておけば誰も近づかないです。

神籠石遺跡には鬼伝説があれば山姥伝説もあります。




本日は節分ということで、岡山県総社市の鬼ノ城神籠石遺跡にしてみました。




城門の構築は土塁の構築が先行しており、その土塁を削って城門の建築が

行われているとのことです。
つまり、土塁の方が先に存在していたわけです。


通称・神武東征には吉備の高島の宮に八年も滞在していたことを思うと、

侵攻した時、神籠石農園を利用して、滞在地点としての城造りをしたのかもしれません。

焼けた跡があるということは、香川県に侵攻する時、焼いて出たのかもしれません。




つづきにします。




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