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『 たまには古代史 』 は、このページの下に書き重ねていっています。
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2026-1/30 金曜日 夕
わかっているのだろうか?
イギリスのスターマー首相が中国と急接近しているらしい。
イギリス国内に巨大な中国大使館を造ることを認めたらしい。
地下室も造られているという。地下室で何をするのだろう。
香港が中国へ返還された時、多くの香港人がイギリスに移住した。
イギリスが誘ったからだ。そうした人々は逃げ場は無くなるだろう。
巨大な中国大使館へ引きずり込まれたら、助けようがない。
スターマー首相は習近平の正体がわかっているのだろうか。
協定の締結など、自分の気に入らなければゴミ箱行きだ。
習近平はロシアへ、ウクライナ攻撃用の兵器を届けている。
カスみたいなやつだ。
本日の古代史はお休みします。
では、良い夕餉を。
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2026-1/29 木曜日 夕
makita さんの握り
買わなければ買わなければと思いながら、やっと買った掃除機。
バッテリー着脱式の物を買いました。 1万数千円。

マキタの製品は、レバーを握ってスイッチのオンオフだから、やりにくい。
掃除機はそれほどではないが、電動草刈り機は使う度にイラッとする。
レバーの握りを少し緩めたらスイッチが切れるから、
草刈り中はずっと握りしめていなくちゃいけない。
握りしめているから手指の血行が悪くなって、すぐに手がダル。
設計したやつは使ったことはないだろう。
使っていたらすぐにわかる。 1日中ぐらい使ってみてから売れよ。
カッコつけて生産コストを上げなくとも、ボタンスイッチがいいんだよ。
では、良い夕餉を。
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2026-1/28 水曜日 午後
もっと早く書けば良かったのですが・・・
返す必要があるのでしょうか。
日本国内で生まれた子を中国へ追い出す必要があるのか。
日本で生まれて苦労して育てた子を 『 返す 』 というのが気に入らない。
私はパンダ・フアンではないが、日本の子を返すのか。
子が成長した頃合いを見計らって、親を返却すれば借り賃は要らなくなったろうにと思ったりもする。
借り賃など、中国がまだ貧乏国だった頃に援助の意味で、くれてやっていた日本の善意だったことを忘れてはならない。
貧乏国が今や横着国になった。
訊いたところによると、宮崎県の山奥の森林が中国資本になっているらしい。
立地的にも中国が侵攻して来る際には、軍事拠点になって大活躍しそうだ。
私は古代史をやっているが、古代も今も戦法は少しも変わらない。
先ず、中から乱していって、本攻撃。
では、良い夕餉を。
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2026-1/26 月曜日 夕
一日中、古代史をやっていました。
気がついたら、もう夕方。
急いで洗濯物を取り込みました。
運動不足になるとは思っていますが、
道を歩くと、危ういことが多いので、
車の通る道をできるだけ避けてのウオーキング。
ウオーキング・マシンを買おうかとも思ったりするけれど、思うだけ。
では、良い夕餉を。
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2026-1/25 日曜日 夕
小学生だった頃。
むかし、テレビで 「 三●かトリオ 」 という番組をやっていた。
外国からの輸入もののコメディ番組だった。
現代の 「 三ば●トリオ 」 は、トランプ・プーチン・習近平、と言ったところか。
高市政権が早期解散になったのも、習近平と無関係とは言えまい。
習近平が攻撃してくるから、日本国民の真を問うのだろう。
政治家とあらば 「 三●かトリオ 」 も、とりあわんわけにゃーいかん。
あの 「 三ば● 」 たちがいる限り世界は荒れ狂うだろう。
あの 「 三●か 」 達が早く辞めてくれたら世界に平和がおとずれるだろう。
私はノーベル平和賞を貰えるか。
では、良い夕餉を。
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2026-1/24 土曜日 昼
かたくて食えん
正月のお供え餅として、暮れに二袋ほど買った。
高価だったが、お供え用に買った。
先日、きな粉餅にして食べようと思って煮た。
お湯が沸騰しはじめて投入。

十五分経っても箸が通らない。
沸騰させながら煮ること二十分・・・三十分・・・まだ中がかたい。
普通の餅なら十五分も煮れば溶けるほど軟らかくなるのに、三十分もグラグラ煮て、まだ硬い。
三十分も煮て箸が通らない。 硬化剤を入れてるな、直感した。
「 山崎製パン 」 の食品。
自社の食品は、先ず自社で煮て食ってみてから売れ。
自分たちは売るばっかりで、食ってみんから、わかるまーが。
こんなの食えるか普通の餅じゃーない。
こんな硬いのを食べたら胃をやられるので、勿体ないがぜんぶ捨てた。
では、良い週末を。
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2026-1/22 木曜日 夕
タバコを買いに
夕方になってタバコを買いに出た。
久しぶりのウオーキング。
前を開けたダウンベストから寒風が入って来る。
おと年、通販で M を買ったのが小さくて、前開け。
こんどデパートで L か LL に買い替えよう。
そんなことを思いながらスタスタと歩く。
ママチャリで来ればいいのだが、
自転車は骨に衝撃が少ないから骨が発達しない。
だから、ママチャリはあっても歩く。
ドシンドシンと、かかとから地面を踏みしめる。
帰宅して、椅子に座って、タバコをふかす。
窓からふと外を見た。
夕焼けに染まった雲がゆっくりと流れていく。
では、良い夕餉を。
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2026-1/21 水曜日 夕
裁判長
無期懲役はないだろう、と思ったのは私だけではないはず。
そんなのを裁判長の忖度っていうんだ。
政治家は集金団体に票を求めると、こんなことになるから気を付けたほうがいい。
そもそも、森友問題から問題が多かったんだ。
では、良い夕餉を。
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2026-1/20 火曜日 夕
選挙
いよいよ選挙戦たけなわになりました。
選挙の投票に、いちばん役立つ物。
私はパソコンとインターネットに慣れていますが、それでも、
チラシ形式で候補者を一覧表示にした用紙を最優先して見ます。
SNS での発信を取りざたされていますが、
私はそれほど重要視していません。見てくれてこそですから。
各家庭に配られるチラシ形式の候補者一覧がいちばん参考になると思います。
では、良い夕餉を。
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2026-1/19 月曜日 午後
風邪ひきでした。
昨日のこと、突然、鼻水タラ〜っと、止まらない。
アレルギーが突然来たのかと、ティッシュが次々と。
あまりにもティッシュが要るので、タオルを鼻に。
今朝まで止まらなかった。
まさか、風邪ひきとは思わず。
今朝、お腹の調子がおかしい。
そういえば、一昨日の夜、薄着で寝たことを思いだす。
すぐに風邪グスリを飲んでみた。
午後になって、やっとのこと鼻水が止まりました。
風邪ひきだったとは、不覚でした。
では、良い午後を。
追記
イランのデモは、トランプがデモ隊に助太刀すると言っていたはず。
トランプの言うことは、口から出まかせ、はなしにならん。
はよ辞めさせたほうが世界が平和になると思わんか?。
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2026-1/18 日曜日 午後
『 たまには古代史 』 は、このページの下に書き重ねていっています。
いちばん下までスライドしてみてください。
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2026-1/17 土曜日 午後 19時35分




この時期になると、いつも出してみる当時の写真誌。
家が崩れている、家の中には人が残されている、火の勢いがどんどん迫って来る、
「 この中に居るんだ 」 叫びながら消火用の水を狂ったように奪い合う人たち。
合掌
いつもの「たまには古代史」は、このページをいちばん下にスライドさせてください。少し書きました。
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2026-1/16 金曜日 午後
たまには古代史 16

前回は、愛河の意味について書きました。
今回は、波浪についてです。
この読み方は「はろう」で、そう読んで意味は通じますが、
私は地名の波野 ( はの ) を意味しているのではないかと思います。
波野は、からと水道の脇に存在している地名です。
下の地図で田布施町の文字の辺り一帯です。
青い線で引いた田布施川のすぐそばです。
前回書いたエジプトの絵文字、申し遅れましたが、
ピラミッドに描いてあるものを、ピラミッド・テキストと言います。
棺に描いてある絵文字をコフィン・テキストと言います。
絵文字の内容に関して、からと水道にあるこの波野がきわめて大事です。
ひいては、エジプト出身の大物主神とも関係して来ます。


ピラミッド絵文字にあると言って説明しても、信じてもらえないと思いますので、
グラハム・ハンコック & ロバート・ボーヴァル 氏の著書になる「創生の守護神」より
ピラミッド絵文字の解読文を、特に大事な部分を引用させてもらいます。
以下・著書より。
『 ドウアトは、あなたをオリオンの住む場所へと案内する・・・・・ドウアトはあなたの手を取り、オリオンの住む場所に案内する・・・・・』
『 うねる水の道は洪水を起こし、ラーシュの原は水で溢れた。私は船で天空の東側に運ばれた。その場所で、神々が流儀を授けた
オリオンの妹はシリウス・・・・・水路を通ってきた。それは大氾濫の洪水の河岸であり、安心立命の場だ・・・・・それは水平線にある・・・・・
どうか、うねる水の道へ持ち上げ、昇らせてください。不滅の星たち、神々の間に置いてください・・・・・』
『 不動のまま、おぉ、オシリス王、オリオンよ、空の下側で美しい星、シリウスとともに、うねる水の道の曲がり角に、いてください・・・・・
水の道に行きなさい・・・・・オリオンがあるドウアトへの階段が用意されますように・・・・・おぉ王よ、あなたはこの偉大な星でオリオンの仲間、
オリオンとともに天空を旅する。オシリスとともにドウアトの中を進む・・・・・』
上に重ねて行くと、画像などの面で説明が面倒になるので、今回は下に重ねます。
2026-1/17 土曜日 午後
たまには古代史 17
絵文字の解読は続きますが、長くなるので、
1996年・翔泳社発行の創世の守護神という本に詳しい研究内容が著してあります。
その本を読まないと、今から書くことの意味はわからないと思います。
上下巻の二冊ありますから、先ずはその本に目を通してください。
解読文に出て来る大事な名称と、その意味するところを私の研究で載せておきます。
ホルス = 掘るという意味。 何を掘るかは、神々の乗った船です。
その船は大海の荒波にも転覆しないように双胴船になっています。
その双胴船は地下深く、約 十五〜二十メートルの深さで埋めてあり、
今もなお豊富な地下水によって守られています。
そこには、かって高い塔があったかもしれません。出雲大社の前身?
双胴船の埋めてある場所は、ホル・エン・アケト ( 下記 ) です。
山を削って築造したのであろう巨大なスフィンクスの右腕の先端部に位置します。
船の埋めてある位置はほぼ正確につかめており、そこには住居がありますが、
発掘するなら、立ち退いてでも協力は惜しまない、ということです。
多量の湧水の排水は、すぐ横に川がありますので心配ないです。
発掘・発見したら、水族館方式で保存・展示するのはどうかな?と考えたりします。
ホル・エン・アケト = アケトは地名、からと水道の脇に今でも「上ゲ ( あげ ) 」 という所があります。
日本語にしますと、「掘る・縁・上ゲ」になります。掘る物は上記の通りです。
ホルアクティ = 掘る、と、飽きる、の合わせ。飽きるほど掘らなくてはならないの意味。
ほんと二十メートルは深いですね。
ロスタウ = たゆたう、の意味であり造語、うねる水の道、からと水道のこと。
つづきにします。
良い週末を。
2026-1/18
ピラミッド絵文字は、さらに続きます。「創世の守護神」の本、下巻・70ページ。
本の著者も、きわめて大事な場面だと指摘されています。
ホルアクティが侵略者によって滅びていた場面になります。
絵文字の記述は行きつ戻りつをしていますので、内容を変えないようにわかりやすくまとめてみます。
『 私は昼の帆船と夜の帆船に乗って地平線のホルアクティに行く。そこは神々が生まれた場所だ。
私は地平線のホルスのもとに行って生まれ変わるのだ。・・・・・・・私はどこよりも高貴なこの場所に着いた。
私は口が用意されたアクたちに出会う。「何者だ?」とアクたちは言う。アクたちの口は用意されている。
「あなたに何が起こったのだ」・・・・・・アクたちの口は用意されていた。
私は地平線のホルアクティに遥々やって来たのに。』
まとめると、物語はこういう記述になると思います。
原文は行きつ戻りつしていますので、内容を変えないように書き変えました。
「 アク 」 とあるのが侵略者たち、ということになります。日本語ですね。

解読文の最初の頃にある 「 うねる水の道の曲がり角 」 にあるのは八幡八幡宮 ( やわたはちまんぐう ) です ( 黄色矢印 )。
この地域を古事記などでは「おしっこ」や「ウンチ」を連想させる内容が多くて、古代史では笑いものにされて来ました。
そもそも古代史では、そうした嘲笑される部分に、重要なことが隠されているのが常であると知るべきです。
八幡八幡宮は上の図の矢印の所にありまして、分析しますと、その凄さがわかります。
まず風土注進案などの古記録には次のようにあります。
「 当社は一国一社の宮にして、諸国神社を拝礼廻国の輩ことごとく札を納め、
神號・社號など納経帳へ書記候こと古来より連綿と仕候 」
拝礼する方位を分析しますと、下の写真のようになっています。。

これは社殿の方位です。全方位が墳墓を指しています。
私はたくさんの社寺を拝観していますが、全方位に墳墓を拝礼している宮は珍しいです。
玖珂町の筏山古墳は近世に移設されていまして、方位線は移設前の本来の位置を指しています。
神花山古墳 ( じんがやまこふん ) は「 コノハナノサクヤヒメ 」の陵墓です。よく整備されていて、見学は容易です。
サクヤヒメの遺骨は各地へ分骨されていて、サクヤヒメ由来の神社や墳墓が多く見られるのはそのためです。
現在の神花山古墳は残っていた頭骨だけを埋葬してあります。古墳の脇には巨大なサクヤヒメ像が建っていますが、
像を建設する費用があったのなら、向かいの阿多田古墳の整備をしてほしかったです。
水口茶臼山古墳は、日本最大 ( 世界最大? ) の銅鏡が出土しています。ドラム缶の径ぐらいあります。
巨大銅鏡の図柄から「オオアナムチ」の陵墓であることが推察されます。これは仁徳天皇だと推測します推測です。
そのほか中国製の銅鏡も出土していますが、それらは叩き割ってあります。
銅鏡を割るには、ただ叩いただけでは割れません、曲がるだけです。 火にくべて、焼いて、叩いたら、割れます。
稲荷山古墳は、家屋の路地を登って行った畑地の丘の上にあります。見学は容易です。
古墳の地形全体を見渡しますと、水口茶臼山古墳に匹敵するほどの前方後円墳だと思います。
そのほか、近くにも古墳がありますが、新興宗教の敷地内なので、わるいけど見れません。
さらに、一の鳥居は天王原古墳、二の鳥居は納蔵原古墳を拝礼する方位になっています。
天王原古墳は、「 イチノヘノオシハノ王 」の初代墳墓。今は墓石だけ露出しています。
納蔵原古墳 ( なぐらばらこふん ) は聖徳太子の初代墳墓、前方部は阿多田古墳に向いています。
以上のように、これらを指し示して拝礼している八幡八幡宮は、
風土注進案にあるように、一国一社の宮だと言えます。
さらには、エジプト絵文字にあるのも納得できます。
つづきにします。
2026-1/19 月曜日

「 退き 」 のところの文字は、原書を見ないと、活字本では何とも言えません。
大修館の漢和辞典で調べると、「 退く 」意味もあるので、そうしました。
「 苦海の煩悩 」とは、五瀬命 ( いつせのみこと ) を意味。
「 従来より離れしこの穢土の縁 」
ここの解釈が極めて難しいのですが、穢土という言葉は本来は仏教用語であり、
我々の住む汚れた世界ということになりますが、この漢詩は、遠い地、北海道を意味しています。
従来より疎遠になっている縁、と解釈すればいいと思います。その根拠は出土品にあります。
土井ヶ浜遺跡には南方の海でしか採れないゴホウラ貝の腕輪を装着した遺骨が出土しています。
ゴホウラ貝の腕輪は、北海道でも出土していて、日本列島縦断貝の異名を持っています。
だから、従来より疎遠になっている縁、なのです。
「 本願の鵜をかの浄刹に託す 」
土井ヶ浜遺跡には、「 鵜を抱く女 」と名付けられた遺骨が出土しています。
不自然な姿勢で座らされて、押し倒されて、拷問の痕跡がありありと見られます。
拷問の痕跡は、土井ヶ浜遺跡で出土した全ての遺骨に見られるそうです。
特筆は、先ほどの ゴホウラ貝の腕輪をつけた「 英雄 」と名付けられた遺骨です。
多数の矢をうけているのですが、顔面の骨は生きたまま粉砕されているそうです。
土井ヶ浜遺跡の詳しい資料は二種類ありまして、今はどうなっているのか存知ませんが、
私は二冊とも買いました。
鵜ということにおいては、岩国市の
つづきにします。
2026-1-20
鵜ということについては、岩国市の椎尾八幡宮が示しています。
椎尾八幡宮は、同名で二社あります。どちらも古代史のうえで極めて重要です。
方位において、両社が分担して指し示し、両社連携しています。
岩国市の錦帯橋のすぐ近くにある椎尾八幡宮は、土井ヶ浜遺跡を指し示しています。
岩国市の角という所にある椎尾八幡宮は、福岡県の宇島 ( うのしま ) を指し示しています。
宇島の近くには八幡古表神社があり、山国川の河口中州は九州侵攻の拠点にされた所です。

↑ 錦帯橋の所の椎尾八幡宮の前面方位線です。極めて正確に指し示しています。
方位線は、ここに到達するまで多くの鉱山跡を通ります。

↑ 岩国市 角の椎尾八幡宮の拝礼方位線です。
赤丸の所に山国川の河口があり、中州になっています。そこが九州侵攻の拠点になります。
吉野ケ里遺跡 ( 青丸の所 ) はなぜ滅びたか、明瞭にわかりますね。
ひとつ不審に思うこと。錦帯橋の所の椎尾八幡宮は国司社です。
国司社というのは日本にとって極めて大事な神社です。
国司社とした時には、およその内容はわかっていたはずなんです。
なぜ闇に葬ったか、岩国を治めた殿様が大いに関係しているように思うのです。
また、前面方位を主体にしている神社は、寺院色が濃いことを付しておきます。
つづきにします。
2026-1/21
侵攻経路
萩市から室津半島まで神社が点々と足あとのように連なっています。
古代人が後世に伝え継ぐべく残してくれたようです。
いずれの神社も、足あとの役目を果たしながら、地域の古墳を指し示しています。
古墳を指し示していることは、すなわち創建は古代にまでさかのぼれることを意味します。
この神社群を見ても、萩市から上陸して、内陸からの侵攻だったことが見てとれます。
当時の人々には、まさか、山側から攻めて来ることは想定外だったのでしょう。
海側の守りは強固でも、山側の守りは手薄だったろうことは推察できます。

侵攻するには、先ず少人数で入ります。そして生活しながら内情を見ます。いわゆるスパイですね。
そのスパイたちは、狼煙 ( のろし ) 場を正確に把握するのが主たる役目です。
狼煙はその名称とは裏腹に光の速度のごとく速いですから。
昼間の狼煙は山の中腹で山を背にして煙りで通信します。
夜間の狼煙は、山の頂きで高い炎を上げて通信します。
濃霧の時は、炎と合わせて音で通信します。
さらに、狼煙場は集落にもあり、集落と本線の山とを繋いでいます。
ですから、侵攻する前には、先ず、スパイたちが狼煙場を叩いて
通信をできなくしておきます。
新月の真っ暗闇の時、敵の船団は萩市の沖合に集結します。
スパイ組は、準備が整ったら砂浜で火を上げて合図。
そうして深夜に侵攻は始まります。
萩市は阿武川河口が中州になっていまして、その中州を拠点にしたのでしょう。
話は土井ヶ浜遺跡に戻ります。
埋葬されている遺骨は全て同一方向に向いて出土しています。
遺骨の向いている方位を計測してみますと、全て頭の方向が室津半島に向いています。
日本の風習に、家の床の間や仏壇に足を向けて寝てはならない、というしきたりがあります。
その風習に習いますと、頭の方向は初代ヤマトの地になっています。
土井ヶ浜遺跡の周辺には、集落遺跡は無いそうです。
ということは、出土遺骨はどんな経路をたどったのでしょうか。
つづきにします。
2026-1/22
もともと、土井ヶ浜は墓地として始まっているようです。
貝殻質の砂のため、カルシウムが溶け出て、長い年月の間に
遺骨に浸透して良好な保存状態をつくって来ました。
古代人も土井ヶ浜に埋葬すれば遺骨は永遠に残ると知っていたのでしょう。
平成 11年 ( 1999 ) の土井ヶ浜遺跡の資料によりますと、
土井ヶ浜で埋葬が始まったのは弥生時代の前期だそうです。
そして、埋葬が終わったのが弥生時代の中期とのこと。
いずれにしても、弥生時代です。
埋葬されている遺骨の数、数百体に合う集落の数はなく、
遺跡周辺の集落遺跡は、10軒程度できわめて少数です。
そうすると、どこからか運ばれて来て、埋葬されたということになります。
どこから運ばれて来たかは、侵攻の始まった萩市が有力です。
拷問の痕跡が多数見られることから考えても、
萩市から運ばれて来て埋葬されたということになりましょう。
つづきにします。
2026-1/24
萩市の阿武川河口の中州には、五社の神社があります。
室津半島の賀茂神社・五社と同じように激戦地を指し示しています。
A 志都岐山神社 B 鶴江神明宮 C 荒神社 D 椿八幡宮 E 玉江神社


↑ 萩市の鶴江神明宮が、九州侵攻上陸地点 ( 赤丸の所 ) を指し示しています。
↓ 下の図が赤丸地点の拡大図です。 萩市と同じように河口の中州を拠点にしています。


九州側からも萩市へ向けて方位線が出ています。
青丸の所に 闇無濱神社 ( くらなしはまじんじゃ ) がありまして ( 図 B 参照して ) その神社が萩市を指し示しています。
萩市と中津とを方位線で相互連携していることは、中津の侵攻開始地点が萩市と共通していることを意味しています。
敵は萩市から攻め込んで、山越えをして初代ヤマトの地を攻め落とした後に、大分県の中津市に渡って九州侵攻をしたようです。
九州は日本海側の守りを強固にしていたようですが、まさか瀬戸内側から攻め込んで来ることは考え難かったのでしょう。
下の図は、萩市の志都岐山神社が指し示している方位線です。
古事記の通称・神武東征の段に、ウサツヒコ & ウサツヒメ の物語があります。

つづきにします。
2026-1/25
古代史を語る時、避けて通れないのが神籠石 ( こうごいし ) 遺跡です。
日本の考古学者たちは、日本の古い遺跡の年代を新しくするのが得意で。
外国の遺跡は紀元前の古い年代に決めても、日本の遺跡は新しい年代なのです。
神籠石・遺跡はその犠牲になった最たる遺跡と言えるかもしれません。
現状は、山城としての位置付けです。
いえいえ、初期の神籠石は綿花栽培の農園として存在していました。
九州方面に多く見られる神籠石も、綿花栽培農園として存在していました。
たとえば、吉野ケ里遺跡を例に挙げますと、すぐ近くに帯隈山神籠石があります。
弥生人たちは綿花栽培で収益を上げて、大きな集落を形成したのです。

石城山 ( いわきさん ) 神籠石の中で、とりわけ重要な地点が東門跡です ( 赤丸の所 ) 。
なぜ重要かと申しますと、万葉歌に詠まれているからです。
訊くところによると、私有地になっているらしく、
以前は茂って立ち入ることも出来ませんでした。
七年前、ようやく開けた時に計測しておきました。

外に向かっての開口方向が極めて大事で、100度・青矢印方向です。

東門跡に立って、開口 100度方向には琴石山 ( こといしやま ) があります。
伊勢の原点になる重要な山であり、中腹には、
以前解明した大野の岡の上と同じ遺跡があります。
つづきにします。
2026-1/26
話が前後します。
侵攻経路は萩市から攻め込んで、山越えをして、瀬戸内側に出るルートで侵攻しています。
瀬戸内側の初代ヤマトを掌握した後は、東西どちらへ進んで行ったのか、疑問が出ます。
その疑問を解決してくれるのが、岡山県の楯築弥生墳丘墓 ( たてつき・やよい・ふんきゅうぼ ) です(下図)。

双方中円墳の形状をした古墳は、そう多くはありません。
楯築弥生墳丘墓の丘の上には、びょうぶ石があります(下写真)。
写真は垂直に立っていますが、本来は傾いて倒れそうに立っていました。
近世、垂直にに立てる復旧工事をしたためです。
石の傾きは築造当初から傾けてあって、廃墟を意味しています。
そして、双方向に出た前方部は二方向を意味しています。
すなわち、初代ヤマトの地を侵攻した敵は、二方向に別れて侵攻したことを意味しています。
つまり、岡山方面と、九州方面の二手に別れて侵攻しています。
岡山県の楯築弥生墳丘墓は、そのことを如実に表現しています。

下の写真は、岡山県の古墳群の位置を示したものです。

西から順に、以前載せた作山古墳・造山古墳・楯築弥生墳丘墓と並んでいます。
この図には書いていませんが、作山と造山の中間地点あたりに、こうもり塚古墳があります。
いずれの古墳も、初代ヤマトと密接な連携をしています。
昨日、神籠石(こうごいし)遺跡は綿花栽培の農園跡だと申しました。
綿花農園だと証明してくれる遺物は、下写真の御神体石です。
弧帯石(こたいせき)と呼ばれていまして、石種は蝋石(ろうせき)。
学術名は、紅柱石質蝋石。分布は広く、石そのものは珍しい石ではありません。
この御神体石の形は様々な形状があります。

表面の彫刻模様を拡大しますと、下の写真のようになっています。

これは巻糸ですよね。

巻糸の御神体の訴えているところは、
岡山県にもある鬼ノ城神籠石(きのじょう・こうごいし)です。
つづきにします。
2016-1/28 〜 29
書き遅れましたが、前回載せた御神体の弧帯石は、楯築弥生墳丘墓の脇にある楯築神社の御神体です。
由来によると、楯築弥生墳丘墓の円丘上に在ったのを明治時代に移したとありますが、昔から現在地だと思います。
明治・大正・昭和初期の由来はご都合主義で、好き勝手なことを書いていますから、あんまりアテにしていません。

↑ 上図の赤丸の所に楯築神社 (下写真 ) はあります。
墳丘の南西突出部の上に大きな給水塔のタンクが造られていまして、
下写真の右側フェンスの中にそのタンクはあります。南西突出部は全滅しています。
逆の北東突出部は住宅団地造成のため突出部を削り取られて、今はありません。

↑ 狐帯石を御神体とする楯築神社。 真っ白い社殿は綿花を表わしています。
鬼ノ城神籠石は本来、綿花農園として存在していました。

↑ 同じように真っ白い社殿の山口県柳井市伊保庄・厳島神社。 この白色は養蚕のマユを表現しています。
養蚕とする根拠は、丘の周囲にマユを意味するタマゴ形の大石がたくさんありました。

↑ 同じように真っ白い社殿の山口県平生町大野にある大野八幡宮。
この白色は、綿花の白を表わしています。その根拠は、石城山神籠石を仰ぎ見ています。
以上のように、白色をしている社寺は綿花または養蚕を意味していることがほとんどです。

鬼ノ城神籠石の本来の弥生列石は、第一水門の西側に、ごく一部を見ることが出来ます。
本来の山が崖の多い岩山なので、害獣避けの柵礎石としての列石はあまり必要なく、
石垣を主体にしていたのだろうと思います。

今は復元されている西門も、本来は無くて、土塁が伸びていたそうです。
弥生列石は侵攻された時に、破壊されたり埋められたりしていて、
そのことは他の神籠石遺跡を見ればわかります。
埋められた時の土砂を後年に土塁として利用したのかもしれません。
土塁の下を掘れば、弥生列石が埋まっているかもしれません。
つづきにします。
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