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写真日記


2011-8/26 金曜日 晴れ

本日の空



本日昼頃撮影

中国地方を我々は「ちゅうごくちほう」と呼んでいます。
中国地方という呼び方がいつごろ出てきたのかは明確でありませんが、
その呼び方から大陸の中国と関連しているのだろうと連想するのは自然なことです。

ところが、読み方を万葉の古代に戻してみますと、これは「ちゅうごく」と呼ぶのではなく、
「なかつくに」と呼ぶのが日本古来の正当な呼び方であることに気付きます。
「つ」の部分が省略してあるんですね。「中つ国地方(なかつくにちほう)」です。





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2011-8/25 木曜日 曇り

就職

いちばん年下の子の就職がやっと決まった。

今まで上関原発工事に関係した会社にいたが、
福島の事故により仕事が無くなったという理由で
解雇された。原発の仕事などその程度のものだ。

こんどは少し遠くに就職することになったが、うまくやってほしいと願う。
私には四人の子がいる。いちばん年下の子がいちばん手がかかったが、
四人目の子と言えど、自分で自立してくれるまで手は抜かない。




本日10時頃、柳井市新庄より西方向を望む。

「からと水道跡」のことを今は「柳井水道跡」と呼ぶのが一般的になっています。
古来からの呼び名と現在の呼び名、こうしたその時代の呼び名が
後の世になって二ヶ所の場所を推測させてしまうのです。
実際には同一地点でありながら、二ヶ所の場所を推測させてしまう、
こうしたことは万葉歌などでの詠歌地点を決定するうえでも難解になっています。
でも、歴史家としては、そこを解明するのが最高の面白さでもあります。





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2011-8/23 火曜日 雨

行くには行った

薬を飲んで下痢になるので昨日薬局に電話をしてみた。
薬を飲むのを止めて医師の所に行けとのこと。
今日は午後からの勤務なので、午前中病院に行ってみた。
待つこと2時間。

あんまり待っていると午後からの勤務にこたえる。
診察してもらうのはまたにする。受付に言って帰った。

まぁ、ひとり15分かかるにしても10人いれば2時間半か・・・。
やれやれ、居たくもない所に長居は無用だ、さっさと帰る。








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2011-8/19 金曜日 曇り晴れ

治療開始

昨日は代休日でした。病院に検査結果を聞きに行きました。
レントゲン撮影をしたり、CT撮影をしたりして、
医師の説明では肺に穴が開いているとかで、
治療開始になりました。

薬を飲んで経過を見るとのこと。その薬が半端じゃないです。
朝は8錠飲んで、夕方は2錠飲み、1日に合計10錠もの薬を飲みます。
今まで薬と言ったら風邪薬しか飲んだことがないので、あんまり自信無しです。



この冊子は医師に無理を言って貰った物です。
病状の説明の時、見せてもらった資料を「これください」と頼んだのですが、
「これはやれないが、こっちをやろう」と言って偶然に本立てにあった冊子を貰いました。
通常配られるものではありませんが、わかりやすいので引用させてもらいますね。

最初からこの冊子を見ていたら病院を点々としなくて済んだのになぁと思います。
最初の病院では結核だと言われて隔離されました。病室から1歩も出られないんですよ。
ちょっと車に携帯を置いて来たから取りに行きたいと言ってもダメ。
逃げ出さないように廊下に見張り人が付いていました(苦々)
これでオレも結核文学青年になったか、などと思うゆとりなど最初のうちで(爆)、
実はショックで死にそうでした。




私の場合、粉塵作業が影響したらしく最初に肺炎になりました。
3年くらい毎年冬になると肺炎の症状が出て体力的にも弱っていたようです。
その後、この病気になりました。

だるいなんてもんじゃなくて、
家の二階に上がる階段でさえ途中で休まないとだるかったです。

体重はこれ以上やせられないほどの激やせします。
食欲はあって充分食べているんですが、いくら食べてもヤセました。




ネットで調べてみますと、この病気は女性特有のものらしいです。
ある研究熱心な医師が、なぜ女性ばかりなのかと調査してみたところ、
浴室に行き着いたそうです。
浴室のあのヌルッとした水アカの中にいた菌と女性患者の菌のDNAが一致したそうです。
なぜそれが肺に入るかというと、浴室掃除の時にシャワーを使いますね。
掃除しながらシャワーで洗い流すと便利ですから通常そうすると思います。
シャワーで洗い流すと水の霧が立ちます。私など風呂に虹をかけるのが面白くて・・・(爆)。
その霧のなかにヌルヌル菌が混じって浮遊するわけです。
どうりで女性特有の病気になるわけです。
その研究家の医師は浴室掃除の時にはマスクの着用をすすめています。




途中で薬を飲むのを止めると、菌が薬に抵抗力を付けてしまいます。
その菌を耐性菌と呼ぶようですが、そうなると、より強い薬に変えなくてはならず、
菌が完全に居なくなるまで薬を飲むのを止めることはできません。
私の場合、処方された薬は全部結核の薬でした。
いつまで飲み続けなくてはならないのかまだ見当はつきません。


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私の昨日の血液検査の結果です。
CRPというところがオーバーしています。
肺の炎症を表わしているのだそうです。





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2011-8/18 木曜日 朝

泊原発

北の果てまでチョッカイを出す気はいささかもありませんが、
言わなきゃおれないです。

異例の長期間、調整運転をしておいて
そのまま点検(停止)もせずに続行などと
止めたらかからなくなるから回しっ放しでいけ、です。
悪くなった時に直せばいいわけです。

調整運転の後では必ず一度停止させて総点検をして、
問題点が無ければ営業運転開始、というのが本筋だと思います。

だから女は、と言われても仕方が無いですね。





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2011-8/16 火曜日

退陣?

大連立なんて言ってますけれど、結局まぜこじゃにしてわからなくするわけでしょう?
報道の首相イジメは今にして始まったわけではないですけれど、どうダメなのかが
国民に明確に報道されていないわけです。ボロクソに書くばかりで、なんでボロクソ
なのかを知ろうとあれこれ新聞や週刊誌などを読みあさってみましたが、そのへんの
説明が無いわけです。
甚だしい記事になりますと、書いた記者は日本人なのか、と疑いたくなるような記事も
実際にありました。いつも問題は報道から始まっているわけです。
そうした報道に踊らされているのが政界か、と、ついつい安く見てしまうわけです。

菅首相は脱原発方向に梶をとっておられる。
震災時の対応の遅さはあったと思いますが、脱原発に向かっている世の中としては
報道がボロクソに書くほど悪い首相ではない。
いずれにしましても我々国民も報道に踊らされている感は拭えません。
報道がボロクソに書く意味を明確に記事にして国民に説明してほしいものです。






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2011-8/15 月曜日 曇りのち晴れ

66回目の終戦記念日

五十年くらい前、私が小学生の頃、押入れに額入りの鉛筆画がありました。
押入れの布団の向こう側に立ててあって人目にふれることの無い絵でした。
私はその絵に興味があって、時々布団を引っ張り出しては押入れの奥に
立てかけてある絵を観ていました。

その鉛筆画は戦闘機が機銃を撃っている絵で、ほとんど真下から撃ち上がって
来ている状態を正確に鉛筆画で再現したものでした。上方には大型爆撃機が、
たしか右エンジンから黒いスジのような尾を引いている状態でした。
機銃を撃ち上がっている戦闘機は流線型をした水冷エンジンでした。
まさにパイロットの顔が見えるほどの正確さで描いてあったのが印象的でした。

私が小学生の頃は、少年雑誌には毎週のように大戦中の戦闘機の解説が
ありまして、今なら大問題になるであろう内容も平然と掲載してあった時代です。
おのずと絵の流線型をした水冷エンジンの戦闘機が敵機であることは直感できました。
絵はその後どこへいったのか私の記憶には出てきません。

やがて私が中学生の頃だったか、テレビ番組か何かのきっかけで、
親父が大戦中の飛行機の話しをしてくれたことがあります。
「親友の乗った爆撃機が敵機にやられて、最初はなんとか飛行場まで飛べるかと
思ったが、片方のエンジンが止まって高度がどんどん下がり始めた。
横に並ぶと親友が両手をふりながら別れを告げていた。
助けてやろうにもどうにもならなかった。やがて雨雲に吸い込まれていった。」
そういう内容だったと思います。

今にして思うと、あの鉛筆画の主体になっていた水冷エンジンの敵機は
親父の親友を撃った敵機を記憶にとどめておこうとして
描いた絵だったのかもしれないなと推測するのです。

今日は六十六回目の終戦記念日。
この記念日が百回も千回も永久に続きますように。





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2011-8/14 日曜日 晴れのち曇り・夕立あり

お盆

夜勤から帰宅した朝、墓参りに上がりました。
日が照る暑い時でしたが、読経しているうちに暑さを忘れ、
無量の化佛がウチワで私を煽ってくれているような
不思議な気持ちになれました。

読経はすべてを完読するのに30分かかる長い経典なんですが、
間を飛ばさずにすべてを読誦してこそのものだと思いました。
お坊さんまかせにせず、自分で読経して供養してさしあげるのも
ひとつの廻向と言えるかもしれませんね。
涙の向こうに新しい世界が見えてきますように。

うちは本日が親戚の帰省日でお盆集会でした。
一通り来てくれて、お盆集会も無事に済み、
今はホッとしつつ、皆帰って行ったほんの少しの寂しさを
感じているところです。









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2011-8/13 土曜日 晴れ

Windows 7

次々と出る新型パソコンに追いつけない追いつく気もない私です。
新しいのが便利なのはわかりますが、パッパラパッパラ、ろくにテストもしないで
早く売ったが勝ちで出されたんじゃあたまったもんじゃない。

熱中症で倒れるお年寄りが多いそうです。
あるお年よりの部屋を訪問した時の話し。
最近のエアコンは冷えんねぇ、とおっしゃる。
なるほど、ジッとしていても汗が出てくるほどの熱気。
エアコンの送風口に手をかざしてみると、んっ?確かにおかしい。
リモコンを見てみると「暖房」になっている。

今ごろは何であんなに小さい文字で表示するんだろうと。
まさに顕微鏡で見なくちゃ見えないような表示もあります。





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2011-8/9 火曜日 晴れ

長崎原爆忌

エネルギー政策と原子爆弾を別々に考えるかたもあるようですが、
そもそも原子爆弾もエネルギー政策でありまして、原子爆弾という
強烈なエネルギーで敵地を破壊する政策であり、同じことです。
原発も原爆も狂ってしまえば同じことです。
人々を破滅させる強烈なエネルギーであります。

先日、激甚災害に指定された新潟福島豪雨を見て何か思いませんか?
私には原子爆弾が爆発した後に降ったと伝わるあの「黒い雨」と重なってなりません。
そもそも、異常気象が叫ばれ始めたのが原子力発電所の乱立と重なるわけです。
そうした仮説を唱える学者が居ないのはさびしい限りですが、
やたらCO2で洗脳されている状況ですから、仕方が無いかもしれません。

CO2という物質は地球にとっては自然界の物質です。
二酸化炭素は物を焼いたら出てくる地球にとって太古からの自然な物質です。
それをやたら敵視して温暖化の犯人に仕立て上げているわけです。
たしか私のうろ覚えの知識だと植物が二酸化炭素を吸収して
酸素を吐き出す、のだったと記憶しています。

古い記録を読みますと、諸国を巡行した旅人の記述に「四方八方見渡す限り禿山」
とあります。昔は今と違って燃料に薪を使っていましたから、大きい木が育つまでに
燃料にしてしまうわけです。落ち葉と言えども焚き付けの大事な燃料です。
また、伐採した木の根まで掘り出して乾燥させ、燃料にしていたともあります。
かってその旅人が見渡したであろう地点にいま立ってみますと、
木々は生い茂り、緑は青々とした豊かな山々です。
そうした古記録を読みますと、現代のほうがよほど緑が豊かであることがわかります。


思うのですが、地球の酸素濃度が濃くなったらどうなるでしょうか?
気圧ではありません酸素濃度です。暖かくなりませんかね?

以上、あくまでも浅学な私の推論です。





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2011-8/7 日曜日 晴れ時々曇り

昨日は66回目の広島原爆忌でした。
私の父は終戦時にビルマに居たと聞きました。
九九式双発爆撃機に乗っていたようです。
明日は片道分の燃料で出撃という時に終戦の報が入ったと聞きました。
それが広島の原爆と何の関係があるのかと申しますと、
日本に帰って来たルートに広島が重なるのです。

私は父が帰って来たルートを聞きそびれまして、話し好きな父がどうして
帰還した時の様子を話してくれなかったのだろうと不思議だったのですが。
おふくろに聞いたところ、台湾に飛んでそこから船で帰ったそうです。
ひどい船酔いに悩まされ、そして広島の何処かの軍港に着いたようです。
おふくろの話しでは線路伝いに歩いて帰ったらしいですが、真相は不明です。

そうすると父は多かれ少なかれ広島で被ばくしていた可能性が出てきます。
どうりで私の体は普通じゃないな、と、この歳になって気付いた次第です。
当時、外地から広島に帰還されたかたはたくさんおられると思います・・・。
まだお元気なら、帰還されたルートを聞いてみるのも自分史の参考になるかと思います。







昭和二十年六月十三日で終っている父の軍隊手帳。

(写経・私)





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2011-8/3 水曜日 晴れ

今日と明日の2日ほど会社で休みをとりました。
パソコン教室で動画の扱い方を習うつもりだったのですが、
予定に変更ができて1日の空白時間。

海風想の現地取材や分析は膨大にたまっていて、イラつくことぱかり。
休みの日に遊んじゃいられない。とは言え、急いでも仕方がないこと。

気を取り直して、以前からやらねばと思っていた書斎を地震対応に
変えるべく片付けに専念しました。
地震が来たら真っ先に天井まである本立てなんかぶち揺れて貴重な
資料本が散乱しますから、本立てそのものを無くすことにしました。

本類はできるだけ床に近く並べて、高度を取らない方法に変えることにしました。
まぁ、その程度の量ではあるのですが、入手困難な貴重な本が多くを占めています。
ほんとは大きな耐火金庫に入れておくべき本もいくつかあるんですが、カネが無い。

貴重な本は一階に下ろして火事になったら真っ先に外に放り出せるようにとも
考えましたが、これは自分がその時に居てこその話しであり、ほとんど意味が無い。
そうすると、鉄板ブリキの物置を買って庭に据え、その中に貴重な本を入れておく、
この方法がいいかなと結論付きました。・・・しかし、物置を買うカネが要る(笑)。

そういうことを思いながら1日かけた作業は、
ようやく部屋の半分が片付いたかな?という感じです。







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